爺の時悠空間

その日その時を大切に

プロフィール

青森りんごと名前の一字をイメージしたつもりです。
(会社に入って数年目のとき、会議そっちのけで考えました。もう時効ですね。)

 

だいぶ前のことです。50歳になって比較的長い休暇をもらえましたが、何もしないで終わりそうでした。
これではいけないと最後の1週間、HTMLの勉強をしました。
そして、「忘れやすくなった自分のための備忘録(PCのお勉強と称して遊んだ記録)なるものを試しに作ってみよう。」 これが私のWebサイトの始まりでした。

 

生まれは1950年代前半、双子座・O型、青森県です。現在は栃木県南に住んでいます。

友達をまねて小6から切手収集、就職後まもなくやめました。今も持っていますが保存状態は、、。

BCLやアマチュア無線を楽しんだこともありました。
かすかに聞こえたDeutsche Welle、好きだったRadio Australia。その他日本語放送を求めて、、。
JA7I●●、就職して一時 JF1G●●。その後 JA7I●●に戻し、ほとんど活動せず再免許継続、数年後失効。

道南旅行のとき、列車1両にたった一人というのが結構長い時間続きました。以後、それまで好きだった一人旅はやめました。

昔、一眼レフ・カメラバッグを担いでSL撮影に出かけました。車がなかったため駅から歩ける所まで。屋外やスタジオでの撮影会にも出かけました。
ネガカラープリントもやりましたが、ポジプリントは夢に終わりました。
その後、子どもが小さくかわいかった頃は、バカチョンカメラ、ビデオカメラ。今は、コンデジ、デジ一眼レフ。

 

電車に乗っているとき、向かい側に座っている人や乗り降りする人々を眺めたりすることがあります。いろんな人がいろんな思いで乗っているわけで、当たり前のことですが全員表情が違います。
歩いている人を見ても、やはりいろんな表情、多種多様です。
私が他の人を眺めて勝手に想像しているのですが、反対に私自身はどんなふうに見られているんでしょうか。
面白いとは思いませんか、他人の表情を眺めるなんて。(でも、決してマジマジと見つめたりしないで下さい)

漫画は最近全然読みませんが、昔は「人間交差点(ヒューマンスクランブル)」(作:矢島正雄、画:弘兼憲史)が好きでした。人と人の出会いや生き様、運命など、人間模様を描いたもので、何か惹きつけるものがありました。

五叉路に差し掛かったとき、信号・標識がなかったら通行にちょっと戸惑いませんか。あっちこっちからいろんな人が出くわす交差点、お互いにどちらに進むのかよく分からない、自分の進むべき道はどちらだろう。相手の表情などを確認しながら、躊躇いながらもどうにか進んでいく。。
そういう迷いを感じながら始めた はてなブログが「五差路」 です。それ以前のブログはもうありませんが、残っていた記事の一部は「五差路」にまとめました。

 

月日は流れました。
新たなブログを作ったり統合したり削除したり、試行錯誤を繰り返しました。
そして2023/12末現在、
写真帖・あの日あの時」「時悠帖・五差路」「爺の時悠空間」となっています。

 

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